「嗣書のありよう」嗣書のありようは、日月星辰をあきらかにして嗣法するのであり、あるいは皮肉骨髄をえて嗣法するのであり、あるいは袈裟を嗣ぎ、あるいは拄杖をつぎ、あるいは松の枝をつぎ、あるいは払子を相続し、あるいは優曇華を相続し、あるいは金襴の衣を相続する。あるいはまた、草鞋(わらじ)の相嗣があり、竹篦(しつぺい)の相嗣がある。それらを相嗣する時には、あるいは指の血をもって書き、あるいは舌の血を持って書き、あるいは油や乳を持って書いて嗣法する。それらがいずれも嗣書である。その時には、嗣ぐ者も、与うる者も、共に仏の法嗣である。まことに、仏祖となれる時には、必ず嗣法が実県する。仏祖となったとき、期せずして嗣法が実現し、求めずして法を嗣いだ仏祖もおおい。嗣法があれば必ず仏祖なのである。第二十八祖達磨大師が中国に来られてこの方、仏教に嗣法ということがあることが、初めて中国にも知られたのである。それ以前はまったく知られていなかった。(道元:正法眼蔵・嗣ぐ書)