「臨済の嗣書」まずその名字をしるして、「某々はわれに参じた。」とも書き、「わが会下につらなった」とも書き「わが奥堂に入る」とも書き、あるいは「われを嗣ぐ」とも書いて、それから歴代の仏祖をつらね記すのである。それにも、いささか言い伝える訓がある。その主たる趣きは、嗣法は、終わりの師、始めの師にかかわらず、ただ真の善知識に見えることにありとする。それは的を射たものである。(道元:正法眼蔵・嗣書)