「洞門の嗣書「もともと仏祖の心のなかのことであったのを、青原行思のとき、はじめて曹谿山の机の前で、手の指から浄血をだして、書いて正伝したのである。その時には、六祖慧能の指血をまぜて、書いて伝えたといい伝えられている。初祖達磨と二祖慧可のときにも、合血のことがおこなわれていたといい伝えられる。それは「これ吾が子、吾れに参ず」などとは書かず、ただ、諸仏および七仏をつらね記したものである。それによって判るように、慧能の浄血はかたじけなくも青原の浄血に和合し、また青原の血はしたしく慧能その人の血にまじっているのであり、そのようにして、まのあたりに仏心のしめしを与えられたのは、ただひとり青原のみである。他の祖師のおよぶところではない。このことの由をしるものは、仏法はただ青原のみ正伝されたというのである。(道元:正法眼蔵・嗣書)