「迦葉仏が涅槃に入られてから、釈迦牟尼仏がはじめて世にいでて成道せられました。ましてまた、現在却の諸仏がどうして過去却の諸仏に嗣法いたしましょうか。このこと、いかがな道理でありましょうか」道元はたずねた。先師はいった。「そなたがいうところは、ただ教えを聴く者の解釈である。仏祖正伝の道ではない。わしが仏から仏へと相伝してきた道はそうではない。釈迦仏が嗣法してからのち、迦葉仏は涅槃に入ったと学んできたのである。釈迦仏がもし迦葉仏に嗣法しなかったならば、それは自燃外道とおなじであろう。誰か釈迦仏を信ずるものがあろう。そのようにして仏から仏へと相嗣いで今に到っておるから、いずれの仏も正しい方の嗣ぎ手である。連続しているか、一緒であるかということではなく、まさにそのようにして仏と仏とが相嗣ぐのだと学ぶのである。釈迦仏は迦葉仏に嗣法すると学び、迦葉仏は釈迦仏に嗣法したと学のである。そのように学んでこそまさに諸仏・諸祖の嗣法というものなのである。」このとき道元、はじめて仏祖の嗣法あることを領解することをえたのみならず従来の旧巣から脱落したのである。(道元:正法眼蔵・嗣書)