「一大事とはなにか」曹谿山法林寺の慧能の会座に宝達という僧かやってきた。われは法華経を読誦することすでに三千部なり」と得意気に語った。慧能は、「たとえ一万部を読んだところでその根本解を得なかったならわが過ちを知ることができないであろう」と。慧能は宗達に「一度読誦してみなさい。汝のために解説してやろう」宗達が方便品まで読み到ったとき慧能はいった。「そこでやめなさい。この経は釈尊がこの世に出現せられた由来を説き明かすことを主意としている。多くの喩えの話を示しているがそれらの話は、仏の出世の因縁を説く範囲を越えることはない。この因縁は何かというと、ただ一つの大事にほかならない。それを明らめることである。一大事とは、仏の智慧のことである。悟りの智慧のことである。仏の智慧は本来人々が持ち具えているのである。汝は信じなさい。人々は本来仏の本性を具ているのである。汝みずからの心である」と。