「転法華」と「法華転」の話は「心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ずる」という語句による禅匠の提唱や説法は、六祖以前におこなわれたことは知らない。真に仏の智慧を明めることことは必ず仏の説かれた唯一無上の正法の本質をつかんでいる仏祖によらなければならない。むやみに沙や石をかぞえるような文字の学者の、とうてい知るべきところではない。それはいま、宝達の以前のふるまいをみても判るであろう。法華の正しい意味を知ろうとならば、この慧能の開示する教説を唯一の大事な手がかりとして究めるのがよい。余宗を訪れて問うの要はない。いまいうがごとき、法華転ずる実相・実性・実果のあるがままのすがたは、この祖師より以前には、中国においてはまったく聞くかざるところ。いま説いた者はなかったのである。(道元:正法眼蔵・法華転法華)