「三界は心迷煩悩の火宅である。」法華経の方便の「三界は火宅である、長者の家の火事になった比喩について考えると,門(解脱)・門外(涅槃)・門前(修行完成の処)・門内(修行中)もことごとく心の迷い(法華のはたらき)が存し、みな心の迷いそのものの上に門内・門外・あるいは門・火宅などが現成するのであるから、白牛車(一乗仏つまり仏の真理)の上においても、心の迷いにもとづく「開示悟入」となるであろう。その白牛車の荘厳としての開示悟入りが成就するときには、それはいったい露地から入ってくるのか、火宅から出てくるのか。その門はただ通り抜けるところとのみ考えてよいのか。(道元:正法眼蔵・法華転法華)