われらがいま具するこの相と性は、この法界における修行であろうか、微塵おける修行であろうか。ともあれ、驚くことはない、怖れることはない。ただ法華の転ずるながいながい菩薩の修行にちがいないのである。それを微塵の小とみるも、法界の大とみるも、おのが作為でも計らいでもない。計らうにも思うにも、法華の計らいをならうがよく、法華の思うところを思えばよい。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
(相・性;相はそのあらわれたるすがたであり、性はその本性とし内に蔵するところである。)
われらがいま具するこの相と性は、この法界における修行であろうか、微塵おける修行であろうか。ともあれ、驚くことはない、怖れることはない。ただ法華の転ずるながいながい菩薩の修行にちがいないのである。それを微塵の小とみるも、法界の大とみるも、おのが作為でも計らいでもない。計らうにも思うにも、法華の計らいをならうがよく、法華の思うところを思えばよい。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
(相・性;相はそのあらわれたるすがたであり、性はその本性とし内に蔵するところである。)