「転法華ということ」「心悟れば法華転ず」という。ここでは法華を転ずるのである。さきにいうところの法華がわれらを転ずる力を究めつくすとき、我らは翻って自己を転ずるような力を実現するにいたる。その実現を「転法華」という、これまでの法華を転ずるはらきは、決して休むことはないけれどもそれが自然にきはねかえって法華を転ずるのである。驢事はまだ了らないのに馬事が到来するのである。それがこの世に現れる唯一の大事というものである。(道元:正法眼蔵・法華転法華)