仏前に宝塔ある転法華なり、高五百由旬なり、塔中に仏座する転法華あり、量二百五十由旬なり、、従地涌出、住在空中の転法華あり、心も罜礙なし色も罜礙なし、従空湧出、住在地中の転法華あり、まなこにもさへらる、身にもさへらる。塔中に霊山あり、霊山に宝塔あり、宝塔は虚空に宝塔し、虚空は宝塔を虚空する。。塔中の古仏は、座を霊山のほとけにならべ、霊山のほとけは、証を塔中にほとけに証す。
「仏前の宝塔」仏前の宝塔の高さは五百由旬なりという。その塔の中に仏の坐する場面も転ぜられる。その広さは二百五十由旬という。それが地より涌きいでて空中にかかる。その場面は心も及ばず形も見えないが、やがてその宝塔は虚空より下って地上にいたる。その場面は眼にみえ、身に触れる。塔の中に霊山があり、霊山に宝塔がある。宝塔は虚空にかかり、虚空は、宝塔にかかって入る。その時、塔の中の古仏は座を霊山の仏にわかち、霊山の仏は塔中の古仏のために証言する。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
「塔中の古仏」多宝如来をゆびさす。それに対して霊山の古仏とは釈迦牟尼仏をいみする。