「法華経の根本精神転法華のことは、ただ菩薩修行の道程のこととみ思ってはならない。法華経を説きたもうた一座においても「今日如来は大乗を説く」とあることである。われらは自分もまた法華であることを知らないけれども、それはまだ気がつかないことだけのことである。ただ仏眼よりこれをみれば、、五百塵点劫の説法もただほんの毛ばかりの点法華であるという。では、赤心片々としてただ如来寿量の開演せられる中にあるのだと承知するのがよい。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
原文「この転法華は、本行菩薩道のみなりと認ずることなかれ。法華一座のところ、今日如来説大乗と転法華なる功徳なり。法華のいまし法華なる、不覚不知なれども、不識不会なり。しかあれば、五百塵点はしばらく一毛許(こ)の転法華なり、赤心片々の仏寿の開演せられるるなり。」