「心不可得(しんふかとく)」釈尊はいわれた。「過去における心は捉える事ができない。現在における心は捉える事ができない。未来における心は捉えることができない。」これが仏祖の学び究めたところである。人は不可得なるもののなかに、過去・現在・未来という窟(あな)を剔(えぐ)ってきたのである。だがそれは自分の窟というものである。その自分というものは心不可得である。いまの思量分別も心不可得である。二六時中の全身がことごとく心不可得である。(道元:正法眼蔵・心不可得)

原本「釈迦牟尼仏言、「過去心不可得 現在心不可得 未来心不可得」これ仏祖の参究なり。不可得裏に籠・現在・未来の窟籠を剜来(えんらい)せり。しかれども、自家の窟籠(くつろう)をもちゐきたれり。いはゆる自家といふは、心不可得なり。而今(にこん)の思量分別は、心不可得なり。使得十二時の渾身、これ心不可得なり。