徳山と老婆の問答についての評価」この老婆と徳山の問答についてその経緯を考えてみると、徳山はそのころまだ解っていなかったことがはっきり判る。龍譚にまみえてからも、なおかの老婆を恐れていたにちがいない。やはりこの仏道を学ぶにおくれていたからである。ずばぬけた古仏ではなかったからである。また、かの老婆、その時には、徳山を沈黙せしめたとはいえ、本当にできた人であったかどうかははっきり判らない。なぜならば、老婆はその時、心不可得ということばを聞いて、心は得べからざるもの、心は有り得ないものとのみ思うて、あのように問うた。徳山がもし道を得た人であったならば、老婆を観破する力もあったであろう。もし観破しえたならば、老婆が本当にできた人であったかどうかも判るはずである。だが、徳山はまだ徳山になっていなかったので、老婆ができた人であるかどうかはっきり判らなかったのである。

原本「この因縁をおもふに、徳山むかしあきらめざることは、いまみゆるところなり。婆子いま徳山を杜口せしむればとても、実にそのひとにてあらんこともさだめがたし。しばらく心不可得のことばをききて、心あるべきにあらずとばかりおもひて、かくのごとくとふにてあるらんとおぼゆ。徳山の丈夫にてありしかば、かんがふるちからもありなまし。かんがふることあらば、婆子がそのひとにてありけるともきこゆべかりしかども、徳山の徳山にてあらざりしときにてあれば、婆子がそのひとなることもいまだしられず、みえざるなり。」