「徳山と老婆の問答の評価3」では試みに徳山にかわって言ってみようか。かの老婆があのように問うならば、そこで徳山は老婆にろむかってこういうべきである。「しからば、汝わがために餅を売ることなかれ」もし徳山がそんなふうに言いえたならば聡明な学者でもあろう。そこで、徳山がかえって老婆に問う。「現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得、いったいこの餅をもっていずれの心を点ずればよいのだ」そう問われたならば、そこで老婆は徳山に向かっていうべきである。「和尚はただ、餅をもって心を点ずべからざることのみを知って、心が餅を点ずることを知らず。また心が心を点ずることも知らず。」そう言ったならば、徳山はきっとそこで考えるだろう。その時にあたって、餅三つをとれりあげて、徳山に与えるがよい。それを徳山が受け取ろうとした時、そこで老婆は言うべきである。「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」と。もしまた徳山が手をさしのべて受け取ろとしなかったならば、餅一つをにぎって、徳山を打って言うがよい。「この魂の抜けた屍めが、何をぼんやりしているのだ」そこで徳山がなにか言うならばよし。もしなんにも言わなかったならば、老婆はさらに徳山のために説くべきである。だが、老婆はただ袖を払って去った。その袖のなかにもなにか刺すものがあったとは思われない。徳山もまた、「われ言うことあたわず。老婆わがために説け」ともいわなかった。いうべきを言わなかってたのみではなく、問うべきことも問わなかったのである。かいそうに、老婆も徳山も、ただ過去心の、未来心のと問うたり、答えたりしたのみであった。(道元:正法眼蔵・心不可得)

原文「こころみに徳山にかはりていふべし。婆子まさしく恁麼問著せんに、徳山すなわち婆子にむかひていふべし。「恁麼、ならば則儞莫与吾売餅」もし徳山かくのごとくいはましかば、伶利の参学ならん。婆子もし徳山にとはん。「現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得、いまもちひをしていづれの心をか点ぜんとする」かくのごとくとはんに、婆子すなはち徳山にむかふていふべし。「和尚はただもちひの心を点ずべからずとのみしりて、心のもちひを点ずることを知らず、心の心を点ずることも知らず」恁麼いはんに、徳山さた゜めて擬議すべし。当恁麼時、もちひ三枚を拈じて徳山に度与すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし。「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」もしまたとくさん展手擬取せずは、一餅を拈じて徳山をうちていふべし。「無魂屍子、儞莫茫然」かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。ただ払袖してさる。そでのなかに蜂ありともおぼえず。徳山も、「われいふことあたはず、老婆わがためにいべし」ともいはずしかあれば、いふべきをいはざるのみにあらず、とふべきもとはず。あはれむべし、婆子・徳山、過去心・未来心・問著・道著、未来心不可得なるのみなり。