徳山の評価「徳山は、それから後もたいした勝れたところがあったとは思われない。他だ荒々しいかりそめの行動のみである。長い間龍譚の下にいたのであるから、死しようの角を挫くことだってありえたであろうし、珠玉を頂戴する時だって逢ったはずであるが、わずかに紙燭を吹き消しただけのことで、燈をつたえるには足りなかった。されば学道の雲水は必ず力を尽くして学ぶよい。やすやすと思っては駄目である。力を尽くした者が仏祖となるのである。そもそも心不可得とは、画に描いた餅一枚を買いきたって、それを一口に咬み砕く解脱の有様をいうのである。
原文「およそ徳山は祖より後もさせる発明ありともみえず、ただあらあらしき造次(ぞうじ)のみなり。久しく龍譚にとぶらひせば、頭角触折(ずかまそくせつ)することもあらまし。頷珠(がんじゅ)を正伝する時節にもあはまし。わづかに吹滅紙燭(すいめつしそく)をみる。伝燈に附則なり。しかあれば、参学の雲水、かならず勤学(ごんがく)なるべし。容易にせしは不是なり。勤学なりしは仏祖なり。おほよそ心不可得とは、画餅(がべい)一枚を買弄(まいろう)して、一口に咬著皭尽(こうじゃくしゃくじん)するをいふ。