諸仏に習うというのは、丈六の仏身にならうのであり、一本の草花にならうのである。諸仏に習うというのは、諸祖の皮肉骨髄にならうのであり、破顔微笑にならうのである。その意味するところをいわば、正法の本質は、仏祖と仏祖との間に明瞭に正伝されてきているのであって、その心象はあたかも指さしがごとく、一人から一人へとじきじきに伝えられている。だから、師を訪れて学べば、必ずその骨髄・面目をつたえられて、その身そのままに受けることができるというのである。したがって、仏道を習わず、仏祖の室に入らないものは、とてもそれを見聞し、会得することはできない。問うて聞くこともできない。打ち出していうなどとは夢にも思い及ばぬところである。(道元:正法眼蔵・心不可得(後))

原文「諸仏にならふといふは、丈六身にならひ、一茎草にならふなり。諸祖にならふといふは、皮肉骨髄にならひ、破顔微笑にならふなり。この宗旨は、正法眼蔵あきらかにら正伝しきたりて、仏仏祖祖の心印まさに直指なること、嫡嫡単伝せるにとぶらひならふに、かならかずその骨髄面目つたはれ、身体髪膚うくるなり。仏道をならはず、祖室にいらざらんは、見聞せず、会取せず、問取の法およばず、道取の分、夢にもいまだみざるところなり。」

三界:欲界(欲望に駆使される人間の世界)色界(現象そのものの世界)無色界(叡智による抽象の世界)諸法(もろもろの存在) 丈六身(一丈六尺の仏心・それが仏の身量であるとせられている。 皮肉骨髄(二祖慧可が初祖達磨の法を嗣ぐ条に「汝得吾皮」「汝得吾肉」「汝得吾骨」そして「汝得吾髄」の句がみえる。) 破顔微笑(摩訶迦葉が仏陀の法を嗣いだ、いわゆる拈華微笑の消息によってこの句があるのである。)

レンゲ微笑