大証国師と大耳三蔵の問答「大証国師のころ、西の方から大耳三蔵なるものが京師に到着した。他心通を得た者という。ことであった。そこて゛、唐の粛宗は国師に命じて彼を試みさせた。三蔵はちらりと国師を見て、進み出て礼拝し、その右に立った。やがて国師が問うていった。「汝は他心通をえたというが、そうであるか。「いうまでもない」と三蔵は答えた。国師は言った。「では言ってみるがよい。わたしはいま何処におるか」三蔵はいった。和尚は一国の師であられるのに、おやまあ、西川においでて競艇を見ておいでじゃ」しばらくして国師はふたたび問うていった。「言ってみるがよい。いまわたしはいずこにおるか」三蔵はいった。「和尚は一国の師であられるのに、なんとまあ、天津橋のうえで猿回しを見ておいでじゃ」 国師はまた問うていった。「もう一度言ってみるがよい。わたしはいま何処にあるか」今度は、しばらく経っても、三蔵はどうしても答えることができなかった。そこで国師は叱咤していった。「この野狐精め。汝の他心通はいったいどこへ行った。だが、三蔵はいぜん答うることがなかった。(道元:正法眼蔵・心不可得(後))

原文「大証国師のとき、大耳三蔵、はるかに西天より到京せり。他心通をえたりと称す。唐の粛宗皇帝、ちなみに国師に命じて私見せしむるに、三蔵わづかに国師をみてすみやかに礼拝して右たつ。国師つひにとふ。「なんぢ他心通をえたりやいなや」三蔵まうす、「不敢」と国師いはく、「なんぢいふべし、老僧いまいづれのところにかある」三蔵まうす、「和尚はこれ一国の師なり、なんぞ西川にゆきて競渡のふねをみる」国師