「全ての存在がみな心である。」仏道において心を学ぶには、よろずの存在がそのまま心である。三界はただ心である。ただ心のみであるから唯心なのであろう.仏もまたそのまま心であるといってよい。いや仏のみではない。自分も他人もすべてひとしくそうなのである。だからして、いたずらに西川まで下ってゆく必要はなく、あるいは天津橋まで飛んでいって心をさがす必要はない。もし仏道の身心を会得したいならば、仏道の智慧を学がよい。さすれば、仏道ではすべての大地がみな心である。すべての心がみな智慧だとまなぶがよい。(道元:正法眼蔵・心不可得)

原文「いはゆる仏道に心をならふには、万法即心なり。三界唯心なり。唯心これ唯心なるべし。是仏即心なるべし。たとひ自なりとも、たとひ他なりとも、仏道の心をあやまざるべし。いたずらに西川に流落すべからず、天津橋におもひたるべからず、仏道の身心を保任すべくは、仏道の智通を学習すべし。しはゆる仏道には、尽地みな心なり。起滅にあらたまらず。尽法みな心なり。尽心を智通とも学すべし。」