五人の長老に対する批判「五人の長老たちは、いずれも国師のことを知らず、仏法を学んだ力がまるでないようにみえる。しるがよい、国師はまさしく一世にのひいでる仏祖である。あきらかに仏の正法の眼目を伝えている。小乗の三蔵や論師などが国師の境地がわからないのはその証拠である。小乗で云うところの他心通とは、むしろ他念通といったがよかろう。小乗の他心通の力で、国師の一本の毛のさき、いや半本の毛のさきでも知りうると思うのは、とんでもない誤りなのである。いま小乗の三蔵はまったく国師の功徳の所在をみることがてせきなかったのだと、そう学ばねばならない。もしも、先の両度は国師の所在が判ったが、三度目は判らなかったのだとするならば、それは三つに二つの能力があったのであって、すべて叱すべきではあるのまい。たとい叱られても、全て失敗したわけではない。それを叱ったのは、三蔵がまだまったく仏法の身心をえていないことを叱ったのである。五人の長老たちは、みな国師の履みきたれるところを知らなかったからこんな失敗をしたのである。だからして、いま仏道における心不可得について語るのである。この一つのことに通じないでは、他のことに通じたとは思えないのであるが、いま長老たちにも、うっかりしてこんな誤りがあったということを知るがよい。(道元:正法眼蔵・不可心得(後))

原文「五位尊宿、いづれも国師の功徳にくらし、仏法の弁道のちからなきににたり、しるべし、国師はすなわち一代の仏なり、仏正法眼蔵あきらかに正伝せり。小乗の三蔵・論師等、さらに国師の辺際(到達した境地)をしらざる、その証これなり。他心通といふこと、小乗のいふがごときは、他念通といひぬべし。小乗三蔵の他心通のちから、国師の一毛端をも、半毛端をもしるべしとおもへるはあやまり。小乗の三蔵、すべて国師の功徳の所在みるべからずと、一向ならふべきなり。たとひもし国師さきの両度は所在をしらるといへども、第三度にしらざらんは、三分に両度の能あらん、叱すべきにあらず、たとひ叱すとも、全分虧闕(きけつ)にあらず。これを叱せん。たれか国師を信ぜん。意趣は三蔵すべていまだ仏法の身心あらざることを叱せしなり。五位の尊宿、全て国師の行李(あんり)をしらざるによりて、かくのごとくの不是あり。このゆゑに、いま仏道の心不可得をきかしむるなり。この一法を通ずることをえざらんともがら、自余の法を通ぜりといはんこと信じがたしといへども、古先もかくのこ゜とく将錯就錯(しょうしゃくじゅしゃく)ありとしるべし。}