「仏祖の古鏡」「もろもろの仏祖が伝え、保持し、また伝えいたるものは古鏡である。それはいつでも、同じ面をうつ、同じ姿をうつし、同じ証をうつ出す。胡人がきたれば胡人を写し出すこと、その数限り無く、漢人がきたれば漢人をうつし出すこと、その時をえらぶことがない。古人がくれば古人を現じ、今人がくれば今人を現じ、仏がくれば仏を現じ、また祖がくれば祖を現ずるのである。」(道元:正法眼蔵・古鏡)

原文「諸仏諸祖の受持し単伝するは、古鏡なり。同見同面なり。同像同鋳なり、同参同証す。古来胡現(こらいこげん)、十万八千、漢来漢現(かんらいかんげん)、一念万年なり。古来胡現し、今来今現し、仏来仏現し、祖来祖現するなり。」

( 仏祖の一人より一人へと仏心を単伝するありようを語るのに古鏡をもって象徴しているのである。古鏡とは、智慧を喩えていうのが古来からのならいである。つまり、第一に仏祖が伝える者は仏心であることあるいは心印である。第二に仏祖のいとなむ者はピタリと一致していること、第三は、そのいとなむところは常にあるがままを把握していること、第四は仏祖のありようは古今を通じて変わるものではないことをしめしている。)