「伽耶舎多尊者の故事」1伽耶舎多尊者は、摩提国の人である。姓を鬱頭藍という。父の名は天蓋、母の名は方聖。その母は、かってひとりの大神が手におおきな鏡をもって、それに面を写している夢をみた。それで懐胎して、七日にして子の尊者を生んだという。この尊者は、生まれた時から、その肌みがいた瑠璃のようであって、沐浴もしないのに自然にして奇麗であった。幼いときから閑静をこのみ、その言うことは世のつねの童子と違っていた。また、生まれた時から一つの円環をもっていた。円環とは丸い鏡のことである。世にもめずらしいことである。だが、生まれた時からというが、鏡も母胎から生まれたものてではなくなく、尊者が母の胎内から生まれた時とおなじゅうして、鏡がどこからともなくその身辺に現れて、日常の調度のようになったのである。(道元:正法眼蔵・古鏡)

原文「伽耶車多尊者は西域の摩提国の人なり。姓は鬱頭藍、父名天蓋、母名方聖、母氏かって夢見にいはく、ひとりの大神、おおきなるかがみを持してむかへりと。ちなみに懐胎す。七日ありて師をうめり。師、はじめて生ずるに、肌体みがける瑠璃のごとし。いまだかって洗浴せざるに、自然に香潔なり。いとけなくより閑静をこのむ、言語よのつねの童子にことなり。うまれしより、一の浄明の円鑑おのづから同生せり。円鑑とは円鏡なり。希代の事なり。同生せりといふは、円鑑も母氏の胎よりうめるにあらず。師は胎生す。師の出胎する同時に、円鑑きたりて、天真として師のわとりに現前して、ひごろの調度のごとくありしなり。」