「伽耶舎多尊者の故事2」「その鏡は、世の常の鏡とはことなって、そり童子が近づくとおのずからその両手を捧げたようになるが、しかも童子の面はかくれない。また、童子が去るとひとりでに覆せたようになるが、それでも童子の姿はそのまま残っている。あるいはまた、童子が眠る時には、鏡がその上を覆って花笠のようであり、童子が坐っている時には、いつも鏡はその全面にあった。つまり童子の一挙一動にいつもその鏡はしたがうのであった。また古往古来の仏事も、ことごとくこの鏡に写してみることができたし、この世界から天界にいたるまでのもろもろの事、もろもろの物も、みなこの鏡に写して見ることができた。たとえば、経巻によって古今を照らしてみるよりも、胡の鏡に依って見るほうが明らかであった。しかるに、やがてこり童子が出家して仏の弟子になった時から、みはやその鏡は現れなかった。其れで遠近の人々はみな不思議なことと讃嘆した。(道元:正法眼蔵・古鏡)
原文「この円鏡、その儀よのつねにあらず。童子むかひきたるには、円鑑を両手にささげきたるがごとし。しかあれども、童面かくれず、童子さりゆくには、円鑑をおうてさりゆくがごとし。しかあれとみ、童身かくれず。童子睡眠するときは、円鑑そのうへにおほふ。たとへば華蓋のごとし。童子端坐のときは、円鑑その全面にあり。おほよそ動容進止にあひしたがふなり。しかのみにあらず、古来今の仏事、ことごとくこの円鑑にむかひてみることをう。また天上人間の衆事諸法、みな円鑑にうかみてくもれるところなし。たとへば、経書にむかひて照古照今をうるよりも、この円鑑よりみるはあきらかなり。しかあるに、童子すでに出家受戒するとき、円鑑これより現前せず。このゆゑに近里遠方、おなじく奇妙なりと讃談す。」