「皇帝の鏡のこと」「昔皇帝の時、十二面の鏡があったという。家訓によって、天より授かったものとされていた。また、崆峒山において、広成子なる仙人から授かったものともいう。その十二面の用い方は、十二時にあてて、毎時に一面を用いるといい、また、十二月に配して、毎月に一面を用いるともいい、あるいは十二にあててね年ごとに一面を用いるともいう。その鏡は広成子の経典ともいうべきのものであって、それを皇帝に授けるにあたっては、十二時等というは鏡であるから、これによって古を照らし今を照らすがよいとい教えたという。なるほど、もし十二時等が鏡でなかったならば、どうして古を照らす事がありえようか、また、今を照らすことができようんか。つまり、十二時とは十二面であり、十二面というは十二の鏡である。古今は十二時のあらしめるところであり、十二面の鏡とはその道理を示しているのである。これは俗人のいうところではあるけれども、まさに「漢人が来れば漢人を現ずる」というその時々にほかならないのである。」

原文「皇帝のとき、十二面の鏡あり。家訓にいはく、天授なり。また広成子にして与授せりけるともいふ。その十二面のもちゐる儀は、十二時に時時に一面をもちゐる。まだ十二月に毎月毎面にもちゐる、十二年に年年面面にもちゐる。いはく、鏡は広成子の経典なり。皇帝に伝授するに、十二時等は鏡なり。これより照古照今するなり。十二時もし鏡にあらずよりは、いかでか照古あらん。十二時もし鏡にあらずば、いかでか照今あらん。いはゆる、十二時は十二面なり。十二面は十二鏡なり、古今は十二時の所便なり。この道理を指示するなり。これ俗の道取なりといへども、漢現野十二時中なり。」

(鏡をもって治世の根本としたこと等をあげて、それが何を意味しているかを説いているのである。)