「皇帝の鏡のこと4」賢と賢ならぬとがさまざまであるのは、天の現象によく似ている。まことに複雑である。人面の鏡があり、鏡面の鏡があり、日面の鏡があり、また月面の鏡がある。五霊山の精気ならびに四大河の精気が、幾久しく四海を澄ますのも、また鏡のならいというものである。人々をじっと見詰め、そのさまざまな動きをはかる。それが太宗の言葉の意味であって、博覧の人をいうのではないのである。日本の国には、神代から三つの鏡がある。璽(たま)と剱(つるぎ)とともに伝え来たって今にいたる。一枚は伊勢大神宮にあり、一枚は紀伊の国の日前社(ひのくましゃ)にあり、一枚は内裏の内侍所にある。しかるとするならば、国家はみな鏡を伝持することが明らかである。鏡を得たことが、国を得たことである。伝うるところによれば、その三枚の鏡は、神のみくらいとおなじものとして伝えてきたのだといい、天津神より伝えられたものだという。とすれば、百錬の銅をもって成せる鏡も、まことは天地陰陽の成せるところであって、さればこそ、古今に来限して、古今を照らす古鏡なのであろう。(道元:正法眼蔵・古鏡)
原文「賢不肖の万般なる、天象に相似なり。まことに経緯なるべし。人面鏡面・日面月面なり、五嶽の精およ四瀆の精、世をへて四海をすます、これ鏡の慣習なり。人物をあきらめて経緯をはかるを、太宗の道といふなり。博覧人をいふにあらざるなり。日本国自神代有三鏡、璽之与剱而共伝来至今。一枚は在伊勢大神宮、一枚は在紀伊国日前社、一枚は在内裏内侍所。しかあればすなはち、国家みな加賀を伝持することあきらかなり。鏡をえたるは国をえたるなり。人つたふらくは、この三枚の鏡、神位とおなじく伝来せり、天神より伝来せり。しかあれば、百錬の銅も陰陽の化成(けじょう)なり。古来今現ならん。これ古今を照臨するは古鏡なるべし。」