「玄沙のことばの吟味2」玄沙が、明鏡がくるという話は、まったく自由自在にして、八面玲瓏たるものだと心得るがよい。人に逢うにはすなわちわが家をでなければならない。出ずればすなわち彼に逢うのである。とするならば、明鏡の明と古鏡の古とは同じあるか、異なるのであるか。あるいは、明鏡に古の道理があるかどうか、古鏡に明という道理があるかどうか。ただ古鏡というから、また明であろうといたずらに考えてはならない。その意味するところは、「吾れも亦かくのごとし、汝も亦かくの如し」というところである。あるいはまた、「西の方天竺のもろもろの祖師もまたかくのごとし」という道理を、はやく磨きとらねばならない。祖師の言葉のなかには、古鏡を磨くというということもあったが、明鏡もまたそうなのかどうか。ひろくもろもろの仏祖のことばを訊ねて学ががよいのである。(道元:正法眼蔵・古鏡)
原文「玄沙の明鏡来の道話の七通八達なるとしるべし、八面玲瓏んることしるべし。逢人には即出なるべし、出即には接渠なるべし、しかあれば、明鏡の明と古鏡の古と、同なりとやせん、異なりとやせん。明鏡に古の道理ありやなしや。古鏡に明の道理ありやなしや。古鏡という言によりて、明なるべしと学することなかれ。宗旨は、吾亦如是あり、汝亦如是あり。西天諸祖亦如是の道理、はやく錬磨すべし。祖師の道得に、古鏡は磨ありと道取す。明鏡もしかるべきか、いかん。まさにひろく諸仏諸祖の道にわたる参学あるべし。」