「玄沙のことばの吟味」「それを、さきにはなお砕けない時があり、また、のちにも砕けない時があるのだろうと思ってはならない。ただ「千々に砕ける」のである。その千々に砕ける真相に対面することは、まことに難事てある。しからば、いまもいう「千々に砕ける」とは古鏡をいうのであるか、明鏡をいうのであるか。そらに一転して、そのような問い方もあるだろう。だが、その時は、もはや古鏡をいうのでもない、明鏡をいうのでもない。古鏡か明鏡かと問うことはできても、玄沙のことばをとりあげて論ずるときにも、その舌端はただ砂礫・牆壁となって砕け散るばかりであろう。その砕け散ったさまはいかにというなれば、まさに「万古の碧潭、空界の月」ということであろうか。」(道元:正法眼蔵・古鏡)
原文「さきに未雑砕なるときあり、のちにさらに不雑砕ならん時節を管見することんかれ。ただ百雑砕なり。百雑砕の対面は、弧峻の一なり。しかあるに、いまいふ百雑砕は古鏡を道取するか、明鏡を道取するか,更に請一転語なるべし。また、古鏡を道取にあらず、明鏡を道取するにあらず。古鏡明鏡はたとひ問来得なりといへども、玄沙の道取を擬議するとき、砂礫・牆壁のみ現前セル舌端となりて、百雑砕なりぬべきか。砕来の形段作麼生。万古碧潭空界月。」