古鏡まとめ「諸仏諸祖受持単伝するは、故居うなり。同見同面なり、同像同鋳なり、同参同証す。胡来胡現、十万八千、漢来漢現、一念万年なり。古来古現し、今来今現し、仏来仏現、祖来祖現するなり。正法眼蔵は真に難解であるが、幾度となく読みきたり読みさるうたちにふと気が付いてみるその難解さは、しばしばその冒頭の一段弐おいて極まるのである事に気が付いた。名手でアルンと思いめぐらしてみると、結局のところ、底に言わんとしていることが凝縮されているのである。この冒頭について解きほぐしてみると、まず第一に諸々の仏祖が伝え来るものは何か、それは仏心ということであるといえる。その仏心とは 智慧であり、あるいは心印ということもいえよう。それは抽象的なものであり是を具現したのが古鏡を以て象徴したのだと思う。第二に諸々の仏祖がそれによって営むところを古鏡にこと寄せていえば、同像同鋳であると語っている。彼らの言行は同参同証という所以であろう。第三は、その営むところを更に突き詰めれば「常にあるがままを把握しているを特徴としている。古鏡の、古来古現であり、漢来漢現である事を力説しているのはそのことを語っているのである。そして第四には、そのような仏祖のありようは、古今を通じて変わるものではないことをしめしている。最後に、「塼もし鏡とならずば、人ほとけになるべからず」とよくかみしめたい。」