「薬山の看経」薬山の弘道大師4は、久しく法堂にでて法を説くことがなかった。そこで院主がいった。「僧たは久しくおしえを待っています。薬山いわく「では、鐘をつくがよい」、院主が鐘を打つと、僧たちはすぐ集まった。薬村は法堂にいたってその坐に上がったが、しばらくすると、その座をおりて方丈に帰った。院主がうしろからついてきて、申した。「和尚がやっとおいで下さって、僧たちのために法を説かれるるというのに、どうして一言も垂れずお帰りでございますか」薬山がいった。「経には経師というものがある。論には論師というものがある。どうしてわしだけを怪しむのだ」そこで薬山がいったのは、「拳頭には拳頭師があり、眼晴には眼晴師があってもよいではないかということである。だが、わたしはちょっと薬山におたずねしたいことがある。いささか和尚を怪しむことがないわけではないからである。「和尚はいったのはなにの師でござるかと。」(道元:正法眼蔵・看経)
原文「薬山嚢祖弘道大師、久不陞堂。院主白云、「大衆久思和尚慈誨」山云、「打鐘著」院主打鐘。大衆才集。山陞堂、良久便下座帰方丈。院主髄後白云、「和尚適来聴許為衆説法、如何不垂一言」山云、「経有経師、論有論師、争怪得老僧」嚢祖の慈誨するところは、拳頭有拳頭師、師眼晴有眼晴師なり。しかあれども、しばらく嚢祖に拝問すべし、争怪得和尚はなきにあらず、いぶかし、「和尚是什麼師」」