「洞山悟本大師の看経」筠州洞山の悟本大師にも、おなじようなことがあった。ある時、一人の官人があって、供養の食をもうけ、浄財を布施して、師に大蔵経を転読せんことを請うた。すると師は禅牀をおりて、官人に向かって会釈した。官人もまた会釈をかえすと、師は官人に促して、ともに禅牀を一周して、また官人に会釈した。ややしばらくして、師は官人に向かったいった。「おわかりか」官人はいった。「わかりません」師はいった。「いまわたしは、あなたとともに大蔵経を転読しましたのに、どうしてお解りにならないのか」いま師が、官人とともに大蔵経を読誦したことは疑いない。だが、禅牀をめぐることが大蔵経の読誦と思ってはならない。あるいは、大蔵経の読誦は禅牀をめぐることと受け取るべきでもない。それにもかかわらず、洞山の教えるところをよくよく味わってみるのがよいのである。この物語は、先師如淨が天童山にあったころ、高麗国の施主が山にのぼって浄財を布施し、山の僧たちが読経して、さて先師に坐にのぼっって法を説かれんことをお願いしたときに、挙げてて語られたところである。先師はこの物語を語り終わると、払子をもって大きな円相をえがいて云った「わたしはいま、汝のために大蔵経を読誦した。そして払子をおいて座を下った。その先師のいうところをよくよく味わってみるがよい。余人とくらべるべきではない。とはいえ、大蔵経の読誦には、一隻眼をもたねばなるまい、あるいは、半隻眼をといってもよいであろうか。ともあれ、洞山のいうところにもまた、先師の言われるところにも、眼晴があり、また舌頭がある。そこをよく弁(わきま)えてみるがよい。(道元:正法眼蔵・看経)
原文「高祖洞山悟本大師、因有官人設斎施浄財、請師看転大蔵経。大師下禅牀、向官人揖。官人揖大師。引官人倶遶禅牀一帀、向官人揖。良久向官人云、「会憠」官人云「不会」大師云「我与汝看転大蔵経、如何不会」それ我与汝看転大蔵経あきらかなり。遶禅牀看大蔵経と学するにあらず、看転大蔵経を遶禅牀と会せざるなり。しかありといへども、高祖の慈誨(じけ)を聴取すべし。この因縁、先師古仏、天童山に住せとしき、高麗国の施主、入山施財、大衆看経、請先師陞座のとき挙するところなり。挙をはりて、先師すなはち払子をもておほきに円相をつくること一帀していはく、「天童今日与汝看大蔵経」便擲下払子、下座。いま先師の道処を看転すべし。余者に比準すべからず。いかありといふとも、看転大蔵経には一隻眼をもちゐるとやせん。半隻眼をもちゐるやとせん。高祖の道処と先師の道処と、用眼晴、用舌頭、いくばくくをかもちゐきたれる。究便看。」
一隻眼・ん隻眼:一隻眼とは、人の有せぬ独特の見識をいう半隻眼とは文章あや都おもう。 用眼晴・用舌頭とは、経を読誦するには看があり、同時に舌を以て読むが故にそういうのである。 ・