「看経とは」「薬山の弘道大師は、つねづね、人に経を看ることを許さなかった。しかるにある日のこと、自ら経巻をとって看ていた。そこで一人の僧が問うた。「和尚はつねづね、人に看経を許さないまに、いまご自分で看ておられるのは、どういう訳でありましょうや」師はいった。「わしはただ眼を遮るものがほしいのだ」僧はいった。「それがしがも和尚をまねてよいでしょうか」師はいった。「なんじがもし経を看るならば、牛皮もまた穴をあけてしまうだろうよ」いま、「わしは経を遮るものがほしい」というのは、眼を遮ることそのことを云っておるのみである。眼を遮ることは、眼を失うことであり、経をなくすることである。すべての眼を遮するのであり、まったく遮られたる眼である。だが、ここで眼を遮するとは、遮の中において開眼するのであり、眼の中にあって遮が活きるのである。さらにいわば、眼の皮のうえにさらに一枚の皮を加えるのであり、遮の中にあって眼を生かすのであり、また眼そのものが遮を生かすのである。だからして、眼晴そのものが経でなくては、経をもって眼を遮ることの効果はありえないのである。また「牛皮もまた穴をあけるだろう」という。その牛はすべて皮であり、その皮は全て牛である。牛をひねって皮となすのである。だから、皮肉骨髄、頭角鼻孔をもって牛の生ける姿とする。かくて、和尚をならい学ぶとき、牛は眼晴というのであって、その時眼晴は牛となるのである。(道元:正法眼蔵・看経)

原文「嚢祖薬山弘道禅師、尋常不許人看経。一日将経自看。因僧問、「和尚尋常不許人看経、為甚麼却自看」師云、「我只要遮眼」僧云「某甲学和尚得麼」師云「儞若看、牛皮也須穿(とおる)」いま我要遮眼(しゃがん)の道は、遮眼の自道処なり。遮眼は打失眼晴なり、打失経なり。渾(こん)眼遮なり。遮眼は遮中開眼なり。遮裏活眼なり。眼皮上更添一枚皮なり。遮裏拈眼(ねんかん)なり。眼自拈遮なり。しかあれば、眼晴経にあらざれば遮眼の功徳いまだあらざるなり。牛皮也須穿(しゅせん)は、全牛皮なり。全皮牛なり、拈牛作皮なり。このゆゑに、皮肉骨髄・頭角鼻孔を牛牸(ぎゅうし)の活計むせり。学和尚のとき、牛為眼晴なるを遮眼とす、眼晴為牛なり。」

拈眼・拈遮:眼をこねまわすことから眼を生かす。