冶父道川の看経「冶父道川禅師がいわれた。「億千の仏を供養する福徳は、無量・無辺であるけれども、どうして古仏の教えを看ることに及ぶぼうか。古仏の教えとは、白紙のうえに墨で 字が書いてあるから、諸子に言う。眼を開いてよく見よ」と。知るべし。「経を看て教義を解するのは、経によらず離れず仏眼を開いて全自己の経巻を観よ」というのである。ここで、諸大衆らは知るべきである。古仏を供養することは、古経、経巻を看ることである。その福徳は同一である。いな経巻を看る福徳は、供養諸仏以上である。古経とは、白紙の上に墨で字を書いたものである。誰がこれを古人の教え即ち経巻と知ろうか。仏知見を開いて紙の上に墨で字を書くことの体験が、真理そのものであることを参究すべきである。(道元:正法眼蔵・看経)

原文 「冶父道川禅師云、「億千供仏福無辺、争似常将古経看、白紙上辺書墨字、請君開眼目前観」しるべし、古仏を供すると古経をみると、福徳齊肩なるべし、福徳超過なるべし。古経といふは。白紙のうへに墨字を書せる、たれかこれを古経としらんむ。当恁麼の道理を参究すべし。」