四祖道信と五祖弘忍の問答「そこで祖師たちのことばを研究してみると、四祖は、蒿「汝はなんという姓か」といった。それにも意味があるのである。むかしは、どこの国の者で、なんの姓の者かということで、汝の姓はなにかということである。たとえば、吾もまたかくのごとし、汝もまたかくのごとしというようなものである。五祖は答えて「姓は有であります。これはつねの姓ではありません」といった。いうところの有が姓とはつねの姓ではない。有ではつねの姓にはならない。四祖は「これはいったい、なんの姓か」といった。その意味は、「なに」というのは「これ」を指している。「これ」を「なに」と問うのである。それが姓である。「なに」と問わしめるのは、「これ」のゆえであり、「これ」ならしめるのは「なに」のはたらきである。つまり、姓は「これ」であり、また「なに」である。蒿湯もそうであり、茶湯もそうである。それが日常茶飯のことである。(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「しかあればすなはち、祖師の道取を参究するに、四祖いはく汝何姓は、その宗旨(しゅうし)あり。むかしは何国人の人であり、何姓の姓あり。なんじは何姓と為説するなり。たとへば吾亦如是、汝亦如是と道とするがごとし。五祖いはく「姓即有、不是常姓」。いはゆるは、有即姓は常姓にあらず、常姓は即有に不是なり。四祖いはく是何姓は、何(か)は是(ぜ)なり、是は何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり、是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。これを蒿湯(こうとう)にも点ず、家常の茶湯ともするなり。」