「五祖弘忍と六祖慧能の問答」とするならば、しばらくいろいろの場合の無をとりあげて、無仏性の無にあてて考えみるがよい。六祖は「人に南北あり、仏性に南北なし」ていった。その表現を再三再四、深く沈潜して掬(すく)うてみるがよい。蝦をとるのに撈波子(ろうはし)という竹具をもってすくう。まさにそのようにして掬ってみるがよい。あるいはしずかに拈ねまわしてみるもよい。しかるを愚かなる輩は、人間には物のひっかかりがあるから南北があるが、仏性は虚にして無礙なるがゆえに南北の論におよばずと、六祖のことばをそんな工合に推し測る。そんなわけもない愚蒙(ぐもう)の沙汰というもの。そんな愚かな考え方はなげすてて、まっ直ぐに学びいたらねばならない。(道元:正法眼蔵・仏性)

原文「しかあれば、諸無の無は、無仏性の無に学すべし。六祖の道取する人有南北、仏性無南北の道、ひさしく再三撈摝(ろうろく)すべし。まさに撈波子に力量あるべきなり。六祖の道取する人有南北、仏性南北の道しずかにに拈放すべし。おろかなるやからおもはくは、人間には質礙すれば南北あれども、仏性は虚融にして南北の論におよばずと六祖は道取せりけるかと推度するは、無分の愚蒙なるべし。この邪解を抛却して、直須勤学すべし。」