「無上仏道の単伝」「龍樹は仏教に帰する以前、すでに婆羅門の諸学に通じ、多くの弟子をもっていた。だが、彼は、それらを皆謝して去らし、仏祖となってのちはただ一人提婆を正嫡として、眼蔵を付与し大法を正伝した。それが無上大法の単伝というものである。しかるに、時として、われも龍樹菩薩の法嗣であると僭称して、論を造り、説をなす者をみることがある。それはたいてい、龍樹の名をかりたのみであって、。龍樹の造ではない。ただ、さきに去らしめられた弟子たちが人々を迷わすだけのものである。仏弟子たるものは、ただひとすじに、迦那提婆の伝えるところのみが龍樹の所説であると知るべきである。それが正信を得たというものである。しかるに、偽作と知りながらもそれを受けるものがすくなくないのは、仏法を謗ずる愚かなる衆生というものであって、あわれにもまた悲しむべきことである。(道元:正法眼蔵・仏性)

原文「龍樹未廻心(みえしん)のさき、外道の法にありしとき弟子おほかりしかども、皆謝遣(しゃけん)しきたれり。龍樹仏祖とになれりしときは、ひとり提婆を附法の正嫡として、大法眼蔵を正伝す。これ無上仏道の単伝なり。しかあるに、潜偽の邪群、ままに自称すらく、われも龍樹大士の法嗣なり、論をつくり義をあつむる、おほく龍樹の手をかれり、龍樹の造にあらず。むかしすてられし群徒の、人天を惑乱するなり。仏弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは龍樹の道にあらずとしるべきなり。これ正信得及(しようしんとくぎゅう)なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受(ぼんじゅ)するものおほかり。謗大般若の衆生の愚蒙、あはれみかなしむべし。」