「かってわたしは遊学して大宋国にあり、嘉定十六年(1223)の秋ころ、はじめて阿育王山の広利禅寺にいたった。その西廊の壁間には印度・中国の三十三祖をえがいた画像があった。その時はべつに気が付くこともなかったが、そののち、宝慶元年(1225)の夏安居中にふたたび同寺を訪れた。西蜀出身の成桂という接待役の僧と廊下をあるいているとき、わたしは彼に「これはいったい誰をあらわしたものか」と問うた。彼は「龍樹尊者が円月相を現ぜられた姿である」といった。そういえば、その顔には目鼻がなく、その声にはことばがない。わたしはいった。「まことにこれは一枚の画餅に似ている」と。その時彼は大いに笑ったが、その笑いのなかには利刀がなく、画餅を破ることはできなった。それからかの接待役の僧とわたしは、舎利殿やそのほかの堂をめぐりながら、なお数番の問答を交わしたが、彼には疑いすらもなかった。ほかにも自分から所見を語った僧もあったが、その意見はたいてい駄目であった。そこでわたしは「堂頭に問うてみたら」といった。その当時堂頭は大光和尚であった。だが、接待焼くは「あれには目鼻がないから、対面することができない、どうして知ることができようか」といった大光和尚に問おともしない。そうはいってもかれは成桂もわかってはいない。そばに聞いている僧たちもなにもいわない。代々の堂頭もそれをおかしいとはおもわず、改めようともしない。(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定十六年癸秋のころ、はじめて阿育王山広利禅師にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覽なし。のちに宝慶元年乙酉夏安居のなかにかさねていたるに、西蜀の成桂知客と廊下を行歩するついでに、予、知客にとふ、「這箇是什麼変相」。知客いはく、「龍樹身現円月相」。かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。予いはく、「真箇是一枚画餅相似」。ときに知客大笑すといへども、笑裏刀、破画餅不得なり。すなはち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚すれども、疑著するにおよばず。おのずから下語する僧侶も、おほく都不是なり。予いはく、「堂頭にとふてみん」。ときに堂頭は大光和尚なり。知客いはく、「他無鼻孔、対不得、如何得知」。ゆへに老光にとはず。恁麼道取すれども、桂兄も会すべからず、聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭、みるにあやしまず、あらためなほさず。」
粥飯頭とは堂頭のこと。いち寺の住職。