西安禅師の有仏性2「そこでまた、一切衆生即有仏性といわず一切衆生有仏性という。それも究明してみなければならない。そこでは、有仏性の有は、当然脱落すべきである。脱落すべきだというのは、その衆生と仏性とは一つであるということである。一つであるというのは鳥の道のようであることである。とするならば、また一切仏性有衆生でもある。その道理は、衆生を貫いているのみではなく、また仏性をも貫いているからである。いま国師はたといその理解するところを、びたりとその言葉に表現しえなかったとしても、またびたりと表現しうるときがないでもあるまい。いまの表現とてまったく意味がないわけではない。いったい人は、自己にそなわる道理をかならずしも気が付かなくとも、四大・五蘊があり、また皮肉骨髄がある。それとおなじく、ことばにもまた一生をかけて言い得ることばがあり、あるいは生々世々をかけてのことばというものもあるのである。(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「一切衆生即仏性といはず、一切衆生有仏性といふと参学すべし。有仏性の有、まさに脱落すべし。脱落は一条鉄なり。一条鉄は鳥道なり。しかあれば、一切仏性有衆生なり。これその道理は、衆生を説透するのみにあらず、仏性をも説透するなり。国師たとひ会得を道得に承当せずとも、承当の期なきにあらず。今日の道得、いたずらに宗旨なきにあらず。また、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから会取せざれども、四大・五蘊もあり、皮肉骨髄もあり。しかあるがごとく、道取も一生に道取することもあり、道取にかかれる生生もあり。」