百丈禅師の仏性「百丈山大智禅師は、衆にしめしていった。「仏最高者である。最高の智者として、仏道にこの人を立てる。この仏にふっしょうかあり、導師として自由の家風を得しめる。それは自由の智慧であった、よりてよく因果を得しめ、福智自在である。これを車として因果を乗せて運ぶのである。生に処しては生の執着を蒙らず、死に処しては死の妨げを受けず、五蘊に処しては門の開くがごとく、五蘊に礙えられず、去来自由にして、出入自在である。もしよくかくのごとくなれぱ、地位と能力を論ぜず、たとい蟻子の身なりとも、ただよくそれによって、すべては淨妙の国土となり、素晴しきものとなるであろう」。これがつまり百丈のいうところである。いうところの五蘊は、いまや不壊常住の法身である。このかりそめの身が門を開いて、もはや五蘊にさまたげられぬものとなる。生に処しては生のひき届むるところとならず、死に処しては死のおそれに心おののかさせるものとなる。だから、いたずらに生を愛する要もなく、みだりに死を恐れることもない。すでに仏性の存するところである。慌てふためき、厭いきらうがごときは、外道のなすところである。いままでいろいろの差し障りと思ったものも、いまや自由にして自在である。それが最高者としての仏であり、その仏の在すところがとりもなおさず淨妙国土である。(道元:正法眼蔵・仏性)

原文「百丈山大智禅師、示衆云、「仏是最上乗、是上上智、是仏道立此人、是仏有仏性、是導師、是使得無所礙風、是無礙風慧。於後能使得因果、福智自在。是作車運載因果。処於生不被生之所留、処於死不之所礙。処於五陰如門開、不被五陰礙。去住自由、出入無難。若能恁麼、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麼、尽是浄妙国土、不可思議」これすなはち百丈の道取なり。いはる五蘊は、いまの不壊身なり。いまの造次は門開なり。不被五陰(ごおん)礙なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさへられず。いたずらに生を愛することなかれ。みだりに死を恐怖することなかれ。すでに仏性の処在なり。動著し厭却(えんきゃく)するは外道なり。現前の衆縁と認ずるは使得礙風なり。これ最上乗なる是仏なり。この是仏の処在、すなはち浄妙国土なり。」