「大いなる智慧を成就するには至心のに智慧を敬礼すること」「釈迦牟尼仏の集会のなかに、一人の比丘あって、ひそかにつぎのように考えた。「わたしは、かの甚深の智慧を敬礼しようと思う。そのなかには、もろもろの存在の生滅のことはないれども、なお戒に関にかんすること、定にかんすること、慧にかんすること、解脱に関すること、知見に関することのおしえが得られる。また預流果・一来果・不還果・阿羅漢果をうべき方法もえられる。また独覚のさとりを感ずることも可能であり、無上の等正覚にいたる道も示されている。また、仏・法・僧の三宝についての教えもあり、すぐれた説法を展開人々を教化する手段もえられる。」仏は、その思うところ知って、比丘に語っていった。「その通りである。。その通りである。甚深の智慧はまことに不思議にして測りがたいものである」と。(道元:正法眼蔵・摩訶般若波羅蜜)

原文「釈迦牟尼会中有一比丘、竊作是念、「我応敬礼甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅而有戒蘊、定蘊・慧蘊・解脱蘊・解脱知見蘊施設可得、亦有預流果・一来果・不還果・阿羅漢果施設可得、亦有独覚菩提施設可得、亦有無上正等菩提施設可得、亦有仏法僧宝施設可得、亦有転妙法輪・度有情類施設可得」仏知其念、告苾竊言、「如是如是、甚深い般若波羅蜜、微妙難測」

預流果・一来果・不還果・阿羅漢果:総じて四果という。仏道の修行によって得られる成果を四つの段階にわかったもの。預流果とはその初果であってようやく聖者の流れに入った段階。一来果とは、一応来果の意であって、人間界にあってこの成果を得たる者は、一応天上に生をえても、なお再び人間界に戻り来らねばならないという。不還果とは、ここに到ればもはや再び人間界に還りきたらざる聖者となるという段階である。・阿羅漢果とは、また無学果ともいう。聖者の究極の段階にいたりつてもはや学ところもなしという。

独覚菩提とは、師なくして悟りえたる正覚

である。それに対して無上等正覚を仏仏相承のさとりであると考えるのである。