「衆生を済度するのは無である」「いま、一比丘のひそかに思うところは、もろもろの存在を敬礼すれば、その生滅の理を観ぜずとも智慧を生ずるということである。それはただ敬礼である。だがまさにその敬礼の時、それによって教法を成就する智慧が成るというのである。いまいうところの戒・定・慧、乃至は衆生を済度する等のことである。これを無という。無の境説はかくのごとくにして知られるのである。これが甚深・微妙にして測りがたい智慧というものである。
原文「而今の一比丘の竊作年は、諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。此の正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒定慧乃至度有情類等なり。これを無といふ。無の施設、かくのごとく可なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。」