「大いなる智慧を敬礼するは仏世尊を敬礼(きょうらい)することに他ならない」「釈迦牟尼仏はいった。「舎利子よ、もろもろの衆生は、この智慧にたいして、まさに仏ののしますごとにするがよい。この智慧を供養し、敬礼し、思惟(しい)すること、まさに仏世尊を供養し、敬礼するがごとくにするがよい。その故はなんであるか。この智慧は仏世尊にことならず、仏世尊はこの智慧にことならず、智慧はすなわち仏世尊であるからである。なぜであろうか。舎利子よ、すべてもろもろの菩薩・独覚(どっかく)・阿羅漢、もしくは不還果(ふげんか)・一来果・預流果(よるか)の境涯にあるものなど、みなこの智慧によって出現しうるからである。舎利子、およそその世間の十善業(ぜんごう)の実践も、四静慮も、四無色定も、五神通もみなこの智慧によって実現されうるからである。(摩訶波羅蜜多)

原文「釈迦牟尼仏言う「舎利子、是諸有情、於此般若波羅蜜多、応如仏住供養礼敬。思惟般若波羅蜜多、応如供養礼敬仏薄伽梵、所以者何。般若波羅蜜多、不異仏薄伽梵、仏薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是仏薄伽梵。仏薄伽梵、即是般若波羅蜜多。何以故。舎利子、一切如来応正等覚、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等、皆由般若波羅蜜多得出現故・舎利子、一切世間十善業道・四静慮・四無色定・五神通、皆由般若波羅蜜多得出現故。」

薄伽梵:世尊の意・有徳にして世人の尊重するところになること。十善業道:十の善業・不殺生・不偸盗・乃至不邪見の十善を行うこと。四静慮:四禅定ともいう。初禅より大四禅にいたる禅定の四つの段階をいう。四無色定:四空定ともいう。空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非々想処をいう。五神通:天眼通・天耳通・他心通・宿命通・如意通がそれである。諸法:諸々の存在もろもろの事ども・