「存在と仏教の関係」「諸々のことどもを仏法にあてていうとき、迷悟があり、修行があり、生があり,死があり,諸仏があり衆生がある。よろずのことどものいまだ我にかかわらぬ時 には、迷いもなく悟りもなく、諸仏もなく衆生もなく生も滅もない。。だが、仏道はもとより世間の常軌をはるかに超えたものであるから、生滅があり、迷悟があり、また衆生・諸仏があっても、なおかつ、花は惜しんでも散りゆき、草はいやでも繁りはびこるものと知る。」(道元:正法眼蔵・現成公案)

原文「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟在り修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。仏道ものより豊検より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」

諸法:一つには存在そのもの。二つには存在のほうそく。三つには存在の法則もとづいて説かれた教え。ここにいう諸法は一の解釈。

万法:一切ノ存在

豊検:豊葉ゆたか、検はまずしい。貧富・貴賤・智愚などこの世のつねなる規準をゆびさすことばであると知る。