「仏道をならうというは」「仏道をならうとは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れれることである。自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。悟りにいたったならば、そこでしばらく休むがよい。だが、やがてまたそこを大きく脱け出てゆかねばならない。(道元:正法眼蔵・現成公案)

原文「仏道をならふといふは、自己ならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるとは、自己の身心よび他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。」

悟迹:悟りの迹の意。休歇:やすむことの意。長長出:ぐんと抜け出るの意