「仏道をならうとは」「人がはじめて法を求める頃には、はるかに法のありかを離れている。すでに法がまさしく伝えられた時には、たちまち本来の人なる。 人が舟にのって行くとき,眼をめぐらして岸をみれば、岸が移りゆくかにみえる。目をしたしく舟につければ、はじめて舟のすすむのがわかる。それとおなじく、わが身心をあれこれと思いめぐらしてよろずのことどもを計ろう時には、わが心、わが本性は変わらぬものかと思い誤る。もし仏祖先徳の足跡をつぶさに踏んでそこに到れば、よろずのことの我にあらぬ道理があきらかとなる。」
原文「人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本文人なり。 人舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につければ、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。」