「悟りの境地」よろずのことどももまた同じである。それはこの世の内外にわたり、さまざまの様相をなしているが、人はその力量・眼力の及ぶ限りをもって見かつ解するのである。よくよろずのことどもの様を学ぶには、ただ円い四角いと見るところのみではなく、みえざる山海のありようのなお際限なく、さまざまの世界のあることを知らねばならない。自己のまわりがそうというのみではない。脚下も一滴の水も、またそうだ知らねばならない。(道元:正法眼蔵・現成公案)
原文「かれがごとく、万法もまたしかあり。塵中格外、おほく様子を帯せりといへども、参学眼力のおよぶばかりを見取会取するなり。万法の家風をきかんには、方円とみゆるよりほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界のあることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず。直下も一滴もしかあるとしるべし。」
塵中格外:塵中とはこの世の俗なるありようの中にあること。格外とはその枠の外、すなわち世間のありようをいう。方円:方は四角、円はまるい。