「魚と水・鳥と空にたとえて」「魚が水のなかをゆく。どこまで行っても水の際限はない。鳥が空を飛ぶ。どこまで飛んでも空に限りはない。だが、魚も鳥も、いまだかって水を離れず、空を出ない。ただ大を用うるときは大を使い、小を要するときは小を使う。そのようにして、それぞれどこまでも水をゆき、ところとして飛ばざるはない。鳥がもし空を出ずればたちまちに死に、魚がもし水を出でなばたちどころに死ぬ。水をもって命となし、空をもって命となすとはそのことである。鳥をもって命となし、魚をもって命となすのである。いや、命をもって鳥となし、命をもって魚となすのであろう。そのほか、さらにいろいろといえようが、われらの修証といい、寿命というも、またそのようなのである。」
原文「うお水をゆくに、ゆけども水のきわなく、鳥そらとぶに、とぶといへどもそらのきわなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみずそらをはなれず。只用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に辺際をつくさずといふことなく、処処に蹈翻(とうほんく)せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづれば、たちまちに死す、魚もし水をいづれば、たちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あるかくのごとし。」
頭頭:それぞれにというところである。蹈翻:蹈はふむ、足を持って地を踏むの意、翻はひるがえる。翼をもって空を飛ぶの意。以水為命、以空為命:それぞれ主客を転置した命題でそれぞれ三度試みられている。様々に転置して考えることにより硬直てきな考えを超えた考えん方をしよあとしているのが道元の手法。