一顆明珠はただ一つの正法の眼である。「玄沙はいった。「汝はとんでもないところに抜け道を知っておったぞ」しるがよい。日も月も、往古よりいまだ変わらぬ。日は日として出で、月は月として出ずる。それなのにいまは六月であるから、わが名は「熱」であるといったら不可であろう。だから、この明珠には始めがあるか無いかといえば、それはどうともいえない。ただ尽十方世界は一顆の明珠である。二顆ともいわず、三顆ともいわぬ。すべてがただ一つの正法の眼である。その全体が一つの真実体である。全身が一句であり、全身が光明であり、全身が全身なのである。全身が全身であるから、どこにも差し障るところがなく、まことに円やかにして円転自在である。」
原文「玄沙日、知汝向黒山鬼窟裏作活計。しるべし、日面月面は往古よりいまだ不換なり。日面は日面とともに共出す、月面は月面とともに共出するゆゑに、若六月道正是時、不可道我性熱なり。しかあればすなはち、この明珠の有如無始は無端なり、尽十方世界一顆明珠なり。両顆三顆といはず、全身これ一隻の正法眼なり。全身これ真実体なり、全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。全身のとき、全身のとき全身の罜礙なし。円陀陀地なり、転轆轆なり。」
有如無始:如は一本に始めとある。明珠に始めありやなしや、その限界の有無を問題とするのである。無端:決着を付けがたいこと。罜礙:ひっかかり、妨げとなるもの。円陀陀地:陀陀は平らかでも角張ってもいないさま。