明珠のありよう「明珠のありようは、そのように顕然たるものであるから、現に物を見、声を聞きたもう観音・弥勒があり、現身をもって法を説きたもう古仏・新仏があって、まさに時がきたれば、あるいはそれを虚空にかかげ、あるいはそれを衣の裏につつみ、あるいは顎の下にひそめ、あるいは髻の中におさめたもう。そのすべてが尽十方世界、一顆明珠である。それを衣の裏につつみたもうものが仏の姿であって、表にかけるといってはならない。髻の中、顎の下おさめたもうものが御姿であって、その表面にかけるものと思ってはならない。あるいは、酒に酔いたる時、珠をあたえる親友がある。親友には必ず珠をあたえるものである。珠をかけてもらう時は、必ず酒に酔うものである。もともとそのようにあるのが、尽十方世界の一顆明珠たる所以である。とすると、それはただ面を転ずるか転ぜぬかに似ているけれども、それがとりもなおさず明珠である。珠とはまさにかかるものかなと知るのが、そのまま明珠である。明珠にはそのような声があり姿がある。(道元:正法眼蔵・一顆明珠)

原文「明珠乃功徳かくのごとく見成なるゆゑに、いまの見色聞声の観音・弥勒あり、現身説法の古仏・新仏あり。正当恁麼時、あるいは虚空にかかり、衣裏にかかる。あるいは顎下にをさめ、髻中におさむる。みな尽十方世界一顆明珠なり。ころものうらにかかるを様子とせり、おもてにかかんと道取することなかれ。髻中顎下にかかれるを様子とせり、髻表顎おもてに弄せんと擬することなかれ。酔酒の時節にたまをあたふる親友あり。親友にはかならずたまをあたふべし。たまをかけらるる時節、かならず酔酒するなり。既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり。しかあればすなはち転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。明珠はかくのごとくきこゆる声色あり。