「我も汝もいかなるものが明珠であるかを知らない」「そうであっても、我も汝も、いかなるものが明珠であるか、いかなるが明珠であらぬかは知らない。それをあれこれと思い煩うのは、草を結んで罠をかけるような物。そこを玄沙のおしえにより、この身心の明珠なるありようを、聞き知って明らかにした上は、もはやこの心はわがものではあるまい。とすれば、事の起こりまた滅するのは誰のことであるか、。いまや、明珠であるか明珠ではないかと思い煩う要はないはず。たとい思い煩ったとて、明珠でないわけではない。また、たとい明珠ならぬものがあって、それでなにか事がおこたとしても、それがわが心の関わるところではあるまい。それはまさに黒山鬼窟のかかわるところ。それもまた一顆の明珠なるのみである。(道元:正法眼蔵・一顆明珠)

原文「しかあれども、われもなんじも、いかなるかこれ明珠、いかなるかこれ明珠にあらざるとしらざる百思百不思は、明明の草料をむすびきたれど、玄沙の法道によりて、明珠なりける身心の様子をもききしりあきらめつれば、心これわたくしにあらず、起滅をたれとしてか,明珠なり明珠にあらざると取舎にわづらはん。たとひたどりわづらふとも,明珠にあらぬにあらず。明珠にあらぬがありて、おこさせける行にも念にもにてはあらざれば、ただまさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。」