「生は全機現なり、死は全機現なり。知るべし、自己に無量の法あるなかに、生あり、死あるなり。」(正法眼蔵・全機)

生は生でそこに全てが現れ働いているし、死は死でそこに全部が現れて働いている。だから知るがよい。自分の中に法が充ちあふれている。法の中に自分がある。そういう中に生と死が起こるのだという。つまり自分という者は具体的、個別的な中に生きる一回限りの自分であるけれども、同事にその自分は永遠の法の中の存在であって、時間、空間を超えた命そのものなのです。だから生死の永遠なる「ここ」を極め生き切るのが生死の問題を乗り越えることができるのです。今を大切にいきましょう。